朋田菜花の「ときには森を抜ける風の音のように」

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カテゴリ:未完詩集 瑠璃…( 14 )

詩 「セーフモードでデフラグ」

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        「セーフモードでデフラグ」  朋田菜花





 降る雨は時のしずくのように
 季節の舞台から花を攫って駆け抜けていく
 片足に鉄の骨さえ貫っていなければ
 かろやかに追い越すことさえ叶ったかも知れぬ
 だが佇むことしか出来ぬ私には見送ることだけしか

 何度デフラグ掛けても調子が悪い
 まるで私の体調みたいに
 3年前のノートパソコンなら
 壊れてしまったかもしれない
 そう諦め掛けた私に
 セーフモードでデフラグかけてごらんよと囁いたあなた

 逝く春は森の吐息のように
 鳥のさえずりの向こうから名残の青さで匂い立つ
 片足をひきずりながらでも歩いていくしかない
 だから星の褥で抱きしめるときも
 セーフモードでそっとデフラグ掛けてください

 であるならきっともう怖くない
 壊れ物みたいに扱われてもいい
 ただ死んでるみたいにもう生きなくていいのだと
 私はもう人形ではないのだと思った途端に
 窓ガラスを叩き始めた雨が我々を閉じこめるから
 こなごなに千切れたクラスタは
 氷砂糖から蜂蜜のように温度上昇し
 青く熱い涙の中心で透明に溶け落ちながら
 底知れぬ夜の深奥に墜ちていくのです










今日は、音楽なしです。ごめんなさい。
いつものシリーズはお休みで、詩としてかつて書き下ろした作品をご紹介しま
した。これはとある詩人の会のアンソロジーに掲載され印刷物になっています。
足を骨折し治療を受けていた2003年に書いた作品です。


昨日は、旅先で素敵なことと、恐怖体験と二つしました。
素敵なことは、前から一度は訪ねてみたかった美濃の街がとてもきれいで
美濃和紙の探し求めていたタイプのものにも巡り合えて、和紙店の女店主
かとても素敵な人でこれから美濃とは長いおつきあいになりそう‥ということ
怖いことは、宿の駅から数駅先の駅で、あるものを探しに行こうとして迷子に
なり、森と月明かりとどこへ続くと知れない道とを前にして途方にくれてしまう
という出来事がありました。地図ではそこが森であるとは表示されてなかった
‥初めての場所を訪ねるのに、太陽が落ちてしまった時間帯をうかつに選択
した私が愚かでした。万が一のときたのみにしていた知人とは連絡がつかず
すごすごと引き返す羽目に。

あの森で、何か大切なもの‥たとえば私を護っている七枚の護符のうちの
一枚とかあるいは守護石が持っていたオーラとかそういったものを失った
可能性があります。誰かが届けてくれるまで、失くした物は戻って来ないと
思うので、いくつかの基本機能が麻痺したまま‥‥
指先や脳の一部が軽くしびれたみたいに、あの森の中で自分のなにかが
とらわれたままみたいな気持なのです。

この状態でシリーズを続けていけるかどうか。

進み続けるのをあきらめて、違う道にそれるのも一つの選択肢かもしれない
と、今すこしそう思いかけています。
ああ、そうか‥
この作品のラストのように
 青く熱い涙の中心で透明に溶け落ちながら
 底知れぬ夜の深奥に墜ちていくのです
堕ちていける森の深奥までたどり着ければよいのかもしれません。
というか、これを探す旅が新たに始まったというべきかもしれないですね。

鍵をにぎっているのが、今回は自分じゃないような気がします。
じゃあキーマンは誰なのか‥‥
はっきりしてきたら、進む方向も見えてくるように思います。



すみませんね。
音楽と文を楽しみにここにきてくださってる
人にはもうしわけないです。

ちょっと迷路のまま
何日か
あるいは何カ月か‥
過ごすことになるかもしれないし
意外とすぐ復旧するかもしれないし‥


時々空を飛んでいる、だけど時々迷路に迷い込んでいる
それが、私、朋田菜花なのかもしれません。
でもそれが自分自身であるなら、じっくりこの状況と
つきあってみます。
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by forest_poem | 2013-07-22 06:40 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「Innocent Green」

  「Innocent Green」


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 どこへ行くにも

 小高い丘をいくつか越えねばならない

 そんな街でした

 青空と丘の境目には給水塔が建ち並び

 古い公団アパートを縫って滅びかけた石段

 光輝く水色の街にも見えたし

 影におおわれた灰色の廃墟にも見えました



 路線バスはゴトゴトと丘を縫って走り

 あの給水塔を越えた向こうからは青空と雲の中を

 走るのではないかとさえ思いましたが

 そんなことができるのは

 群れ飛ぶ鳩たちぐらいのもので

 私たちはといえば
 

 学生鞄に詰め込んだ

 何冊かの辞書をどこかに売り払って

 中也と同じマントを手に入れたいとか

 煙突から昇る煤煙にはどのぐらいの毒素が

 まだ残されていて

 私たちは死に近づいているのか

 それとも生命の階段を登りつめているのか

 丘をのぼりおりするバスに揺られるごとくに

 しだいにわからなくなっていくのでした



 あの頃母は自分の抱えた病に勝つことができず

 何度も死にたいと打ち明けました

 すまないね、すまないねと言いながら

 だけれども死ぬなんてこと許されないと

 私たちのために生きてくださいと

 何度も母にそう告げました

 何度も何度も、そう告げました



 あの公園まで昇れば

 光る海を見おろすことができました

 信じることができたのは

 輝く海の青さと

 木々の蒼さ

 塞がれた現実の中で逃げる道など無く

 失われかけた夢を棄てきれず

 空を飛ぶ翼はなくても

 押しつぶされそうな魂抱えても

 それでも傷口だけを見つめずに

 再び生きていけると

 そう思えたのは

 じっと待っていればやがて季節が巡り

 緑の葉が枯れ落ちた梢にも

 再び花が咲くのだと

 この約束の地に教えてもらったから



 ふるさとの大きな樟(くす)の樹よ

 広がる桜の森よ

 今も変わらずにいますか

 今も秋には南天の実を鳥たちがついばみ

 春にはおぼろな桜色に包まれる照葉樹の森は

 変わらずにそこにありますか

 28番線のバスに揺られて会いに行きます



 Innocent Green 失われることない青い森は

 いつも今もこの心の中に

 つめたい泉のわく あの光と影の森



 Innocent Green 失われることなく Ever Green

 いつか夢に傷ついたとしても

 帰る場所はたったひとつ あの永遠の森



 またこの場所から ふたたび 歩き始める



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by forest_poem | 2006-11-25 18:51 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「月とあなたととうりゃんせ」




 「月とあなたととうりゃんせ」




とうりゃんせの小径を抜けて

あなたの街まで行こうとするのに

いつも途中で引き留められて

逢いに行くことが叶いませぬ




一昨々日は 迷い犬に服の裾をくわえられ

引っ張って離さぬゆえに




一昨日は 迷い人を探す人に行き会い

その姿特徴をたずねるうちに




昨日は ただ心が迷うて惑って戻れないほどに

空に輝く月が美しすぎて

あなたの笑顔に見えて涙が止まらなくて

泣き疲れて眠ってしまいました




夢を見ました

四条河原町の京風ラーメン屋で

しなちくと海苔の乗った麺をすすっておりました




その後歩いた疎水の脇の

白い萩と野茨が水に届くほどに咲き枝垂り

あなたのスニーカの白さまで

はっきりと見えておりますのに

そこは月光の輝く夜の底で

水面にはこうこうと月明かりと星の影




とうりゃんせの小径を抜けて

あなたに逢いにまいりました

そこは夜でした 

そこは光でした

そこは明るい閑けさでした

あなたはいつもどおり

微笑んでおりました




そっとふれたあなたの指先のぬくもりだけ

今も抱きしめております

珍しく深い眠りでした

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by forest_poem | 2006-11-21 08:09 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「私は月、あなたは海」



 「私は月、あなたは海」




今宵の月はいつになくレモンのしずく

あなた色に染まりながら

ジェスチャーで弾いてみるアルペジオ

即興のアパショナータ

はずむ気持ちはアニマータ



いつも少し泣きべそ顔の私を

あなたは笑わそうとするから

我慢できず私も *^Θ^*(えがお)

にらめっこはやっぱり苦手よ




今宵の空はいつもよりもクランベリーに染まり

私色をさがしながら

星空(そら)の鍵盤で奏でてみるアルペジオ

情熱のアパショナータ

ゆれる想いはアニマータ




うれしくてまた泣き顔に戻る私を

あなたはまた笑わそうとするから

私もまたもう一度 *^Θ^*(えがお)

はんぶんこしよう昨日の悲しみ




私はいつも迷い 空に浮かぶ月で

あなたはそれをいつも包み込む海

いつも叱られて小さい子どもに返る私を

笑ってそっと受けとめてくれるから

やがて私は光放ちあなたを染めて

あなたの世界に沈み、溶けていけた、、、、。




できればもう一度逢いたい

あの場所で

あなたの扉を開けて




できればもう一度眠りたい

あの場所で

あなたの胸に抱かれて




だけどそれが叶わぬ願いなら

せめて 燃える夕暮れを

あなたに




今宵の月はいつも以上にセンチメンタル

あなただけを想いながら

成りきって弾いてみるアルペジオ

運命のアパショナータ

響き渡るアニマータ





やっと気づいたの

ずっとずっとそばに居たこと

やっと気づいたの

ずっとずっと愛されていたこと、、、、、、、、。





今宵の月はいつになくレモンのしずく

あなた色に染まりながら

ジェスチャーで弾いてみるアルペジオ

即興のアパショナータ

つのる想いはアニマータ




私は月、あなたは海

あなたの海から昇り

あなたの海に沈んでいく

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by forest_poem | 2006-11-17 22:02 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「月と星とマンドリンと夜の海と」


  「月と星とマンドリンと夜の海と」



夜に爪を切ってはいけないという

古い言い伝えを破って

深爪をしてしまったから

失くした恋のように

左の親指が痛くて

だけど

こんな綺麗な夜には

一人マンドリンを弾いていたくて



欲しいものはいつも手に入れられないもので

裸足で踏みしめたら足の下で崩れていく砂のように

遠い永遠を目指して果てしなく想いは流れていく



指先に刺さったとげのような痛みは

もう忘れなさいという声と

ずっと抱えていればいいさという声が

入り交じりながら

水平線にのぼりはじめた月へむけてこぼれて

それはいつしか頬をつたう冷たいしずくで



ごめんね、ごめんね、ごめんね

いまの私はやさしい言葉に弱すぎて

ただ

寄りかかって泣いている場所が欲しいだけの駄々っ子で

だけどこれ以上誰のことも傷つけたくなくて




イメージのガラス越し 歌うあなたの口の形をなぞって

覚えたての歌をいくつか うたってみたの

マンドリンの伴奏じゃ調子が出ないけど

熱い響きが身体をふるわす感じが素敵で

いつしか歌い続けるうちにあなた自身になっていく




熱いトーストもコーヒーもなくていいから

このまま一夜をあなたと

近くて遠い いまここにいないあなたと

月と星とマンドリンと夜の海と

さざなみに洗われる桜貝が紡いだ 

誰も知らない伝説




月は今日も6ペンス硬貨のように

天空に静かに ただ静かに

星の海に浮かんでいた

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by forest_poem | 2006-11-14 22:41 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「雪橇は雪原を走り、花筏は海原を流る」



  「雪橇は雪原を走り、花筏は海原を流る」



母よあなたは雪が苦手だったのに

雪深い街で一人眠る羽目になったことを

悔いていませぬか

大丈夫、根雪が降り始める霜月の朝

私は心象の雪原に白い犬七頭が引く

雪橇(ゆきぞり)を走らせ

あなたを迎えに行きましょう



母よあなたは死んだら南の島で

花をながめて実る果実と鳥たちを愛でて

暮らしたいと言いましたね

大丈夫、常夏の光あふれる南洋の海まで

私は心象の潮流にブーゲンビリアの花を載せた

花筏(はないかだ)を浮かべて

あなたを送りとどけましょう



母よなぜあなたは

私の用意した

それらすべてを拒むのですか



母よなぜあなたは

ただ静かに

そこで首を振っているのですか



全てを見届け

全てをまた地上に返し

ただ千億の瞳のように

ただ唯一のまなざしのように

ただ見守っていると

ただ祈っていると

そう ささやきながら

静かに微笑み続けることができるのですか





母よ

私もいつかあなたになりたい





雪橇は雪原を走り、花筏は海原を流る



そして母は宇宙であり

宇宙は母であるのだと

風がそう告げる



雪原の向こうに広がる空も

海原を包み込む空も



青を生み出し青に帰っていく 

ひとつながりの宇宙 











  ★この作品を七年前に他界した私の母と、この世の全ての「母」に贈る。
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by forest_poem | 2006-11-10 23:59 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「人になつかない一匹の青い魚」




  「人になつかない一匹の青い魚」



私はおまえに毎日話しかけ

毎日餌を与え

時折、水槽をていねいに洗い

水を換え、水草を入れ替えてやる



おまえは私が水面に向かって話しかけると

時々は飛び跳ねて餌をねだり

時々は口を開けて私の真似をするが

寒い日は水底に身を横たえたままだね



広辞苑一冊分ぐらいの小さな水槽だけが

おまえの棲家だから

私のあとをついてまわりたくても

できないことぐらいわかっているさ



だからせめて

会えたときぐらい挨拶を交わさないかい

金魚やメダカにはそんな芸当できないことぐらい知ってるさ

おまいさんだから言うんだよ



3日もほとんど家を空けて出掛けていてごめんよ

毎日連れて歩けばよかったのかい

そばにずっと居ることだけが愛情なのかい

おまえがもしそう思っているならそれはお門(かど)違いさ



毎日お前がどんな風に生きていたか

短い交信のひとときの中で見つめている

そこから一日元気だったのか

それとも少し具合が悪いのか

今何が必要なのか

私にできることはなにか

するべきことを探している

お前と私自身のために 

お前を生み出したこの世界と世界自身のために



確かにエラは動きときどき尾鰭も動いているから

生きていることだけはわかるけれど

お前がここに確かに生きていると

ほかの誰でもない私にもう一度示してくれないかい



太陽の陽射しが少し少なくなってきている

だから私は少しだけ魂のボリュームをあげたいだけさ

太陽の国で生まれたお前のために

青空よりも海よりも 青く輝くお前自身のために



仕方ない

またオカリナでも吹くかい

悪いけど、オカリナとマンドリンもカリンバも

同時には演奏できないよ

私は手が二本しかないし

この小さな部屋には、私とお前しかいないのだからね

そして、お前は今も昔も小さな無愛想な青い魚で

決して来世に「青い鳥」になって私に巡り会ったりなど

しはしないのさ

今生きている この瞬間 この時だけがすべてで

その先どうなるかは 今このときをどう生きるかで決まるのさ

だから私は来世のことなどおまえに約束しない 

できるはずがない



太陽の陽射しが少し少なくなってきている

だから私は少しだけ魂のボリュームをあげたいだけさ

太陽の国で生まれた私のために

永遠よりも未来よりも 青く輝くこの瞬間(とき)を

生き抜くために

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by forest_poem | 2006-11-09 08:46 | 未完詩集 瑠璃…

即興長詩 「ブラック・マーケット」

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by forest_poem | 2006-11-04 23:50 | 未完詩集 瑠璃…

「ヒヨドリ伝言サービス」

未完詩集『瑠璃と玻璃の塔』 

          「ヒヨドリ伝言サービス」




昨日届いたはずの
データがすべて
金平糖になったり

明日届くはずの
メールがみんな
キノコになったり

どんな魔法が
恋人達をねらうか
わからないから

これからは
ヒヨドリの配達で
書簡を送ることに
もう隣の村でも
はじめたらしいよ
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by forest_poem | 2006-07-01 14:42 | 未完詩集 瑠璃…

 「双真珠奇譚 ~恋する金魚伝説~」

未完詩集『瑠璃と玻璃の塔』 

          「双真珠奇譚 ~恋する金魚伝説~」


 考古学者である父の食客にYという青年がおりました。
 父の信頼が厚く、父の研究室の一角を与えられ
 同じ家屋で寝起きをして、
 食事の支度も最初は母がいたしておりました。
 そして
 母亡き後は、私が面倒をみるようになりました。

 勤勉で寡黙なYは、だがやわらかな眼差しの
 笑顔だけは透明に子供のように崩れる瞬間
 学者としての冷たい顔を脱ぎ捨てるのを見るのが好きで
 私は、よく冗談を言ったり
 他愛ない女学生同志でする様な悩みごとを愚痴りに行ったり
 勉学や研究の腰を折りに話し込みに行っては
 ただ、うんうんと頷いてくれるだけのYのことを
 いつしか兄の様に慕い、
 そしてさらには、
 ひそかに秘めた想いを抱く様になっていたのですが、
 そんなことは庭先の泰山木も枇杷の木も
 知らぬ存ぜぬ、富士山麓の天然水路の伏流水より深く
 閉ざされた内緒事でありました。

 十八歳のある夏、私は密かにYが食事の後自室に籠もって
 連綿と綴っている日誌の様な冊子のページを
 密かに繰ってみたのです。
 あろう事か、そこにしるされていたのは私への恋慕。
 日々の私との語らい、来ていた着衣、笑ったり怒ったりの
 喜怒哀楽、くだらない繰り言の数々さえも余すところなく
 まるで父以上に細やかに、
 全てを言葉に写し取らんとするかのような気迫と丹念さとで、
 あの笑顔の様なやわらかさと学者の冷えた観察眼で、
 等身大の私がそこに記されていたのでした。
 幾葉か、いつの間にか撮られた写真もこぼれ落ち
 爪先から耳の端までが赤く染められたかの様に動揺し
 昂揚した思いを抱え込み、あわてて自室へと駆け戻りました。

 そんな折に、父と離れて、Yだけが
 中国の奥地に二年間の発掘調査に出向くことが発表されました。

 Yに、写真のこと、日記のことを咎め立てするべきかそれとも
 不問に伏すべきか、自分の想いはどうすべきか、
 愛されていたことが嬉しいのか、濃密すぎる想いが重たいのか
 愛おしくて愛おしくて苦しいのか、
 苦しくて苦しくてたまらないから思い切りたいのか、
 自分でもどんどんわからなくなる苦悩の数週間ののちに
 ふと、とある夕食後、
 赤出目や黒出目や蘭鋳の泳ぐ、ガラスの金魚水槽に、
 パラリといつものように餌まきをしている私の真後ろに
 Yは立ち、呟く様にこう囁いたのでした。

  あなたが十四歳のときから、同じ屋根の下に私はおりました
  このたび初めて二年間も離れ暮らすのですから、もう貴方は
  今度お会いするときは立派な婦人になられており
  私のことなど、とうにお忘れでしょうねぇ。

 私は、激しくかぶりを振り、振り返ることすらできずに
 ただ、やっとの思いで絞り出す様に言葉を吐きだしました。

  いいえ、私は貴方を忘れることなどございません。
  日記をお読みいたしました。あそこに書かれている
  貴方の想いが変わらない限り、私の貴方への想いも決して
  変わることはないとお誓い申し上げます。
 
 Yは、ひどく動揺し、しばらく黙したまま、
 家中の時計が止まったかのような空間と時間を経て、
 ふたたび静寂を破ってこう言いました。

  私の想いが真実のものである証に、帰国の折には貴方への
  贈り物を持って帰りましょう。何がいいか、言ってください。

 私は、再びかぶりを振り、涙声になり、何もいらぬ、
 貴方さえ無事で帰ってくれさえすればと、何度も何度も
 繰り返したのだが、Yに幾度も請われてやっとひとこと、

  では、金魚を一匹探してきてください。
  中国には真珠の眼の魚と言われる金魚がいるそうですね。
  炎よりも愛よりも赤い衣を着て、真珠の眼をした金魚を、
  私に持って帰ってください。
  真実の言葉は、真珠に変わるという伝説を、
  亡き母がずっと信じておりましたものですから。


            ◆◆◆


  結局、Yは戻ってきませんでした。
  向こうで、原因不明の熱病にかかってしまったのです。

  Yの遺品として研究に赴いた現地から届けられたのは
  この二粒のほんのり赤みを帯びた大きな真珠と、
  白い磁器に、
  ゆらりと水藻のなかに揺れながら泳ぐ一匹の金魚が
  丹念な筆致で染め付けられたこの一皿の水盆だけです。

  美しい月の晩、私は月光の降り注ぐ濡れ縁に出て
  この水盆に冷たい水を張り、
  二粒の真珠をこの一匹の金魚の絵のかたわらに
  そっと並べるのです。
  そう。
  まるで絵付けされた金魚の隣に
  もう一匹の金魚がそこに居るかの様に
  二つの眼の様に二つの真珠を並べるのです。

  そうすれば、恋よりも赤い金魚の隣に、
  愛よりも炎よりも赤い金魚がもう一匹ゆらりと水底から
  湧き上がって来るかの様に浮かんでまいります。
  そして、そっとこの金魚の隣に影のように寄り添うのです。
  二匹のつがいの金魚は
  在りし日の私たちの様に、黙って寄り添って居るのです。
  ただ、月の光に染められて、ただそばに居られる。
  それだけでもういいのです。


            ◆◆◆


 この話をしてくれた彼女も、彼女の父も、
 もうこの世にはいない。

 私は、黙って水をたたえた金魚の水盆を眺めている。
 青白い蛍光灯に照らされて
 恋よりも赤い金魚の隣に、
 愛よりも炎よりも赤い金魚が
 ゆらゆらと揺れながら、そっと寄り添って、
 真珠のような瞳で見つめ合うのを眺めている。
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by forest_poem | 2006-06-12 01:17 | 未完詩集 瑠璃…
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創作モード炸裂。ファンタージュの森を生く。


by forest_poem
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