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Archive 物語詩 「 双真珠奇譚 〜恋する金魚伝説〜」



   「双真珠奇譚 〜恋する金魚伝説〜」

 

考古学者である父の食客にYという青年がおりました。
父の信頼が厚く、父の研究室の一角を与えられ
同じ家屋で寝起きをして、
食事の支度も最初は母がいたしておりました。
そして
母亡き後は、私が面倒をみるようになりました。

勤勉で寡黙なYは、だがやわらかな眼差しの
笑顔だけは透明に子供のように崩れる瞬間
学者としての冷たい顔を脱ぎ捨てるのを見るのが好きで
私は、よく冗談を言ったり
他愛ない女学生同志でする様な悩みごとを愚痴りに行ったり
勉学や研究の腰を折りに話し込みに行っては
ただ、うんうんと頷いてくれるだけのYのことを
いつしか兄の様に慕い、
そしてさらには、
ひそかに秘めた想いを抱く様になっていたのですが、
そんなことは庭先の泰山木も枇杷の木も
知らぬ存ぜぬ、富士山麓の天然水路の伏流水より深く
閉ざされた内緒事でありました。

十八歳のある夏、私は密かにYが食事の後自室に籠もって
連綿と綴っている日誌の様な冊子のページを
密かに繰ってみたのです。
あろう事か、そこにしるされていたのは私への恋慕。
日々の私との語らい、来ていた着衣、笑ったり怒ったりの
喜怒哀楽、くだらない繰り言の数々さえも余すところなく
まるで父以上に細やかに、
全てを言葉に写し取らんとするかのような気迫と丹念さとで、
あの笑顔の様なやわらかさと学者の冷えた観察眼で、
等身大の私がそこに記されていたのでした。
幾葉か、いつの間にか撮られた写真もこぼれ落ち
爪先から耳の端までが赤く染められたかの様に動揺し
昂揚した思いを抱え込み、あわてて自室へと駆け戻りました。

そんな折に、父と離れて、Yだけが
中国の奥地に二年間の発掘調査に出向くことが発表されました。

Yに、写真のこと、日記のことを咎め立てするべきかそれとも
不問に伏すべきか、自分の想いはどうすべきか、
愛されていたことが嬉しいのか、濃密すぎる想いが重たいのか
愛おしくて愛おしくて苦しいのか、
苦しくて苦しくてたまらないから思い切りたいのか、
自分でもどんどんわからなくなる苦悩の数週間ののちに
ふと、とある夕食後、
赤出目や黒出目や蘭鋳の泳ぐ、ガラスの金魚水槽に、
パラリといつものように餌まきをしている私の真後ろに
Yは立ち、呟く様にこう囁いたのでした。

 あなたが十四歳のときから、同じ屋根の下に私はおりました
 このたび初めて二年間も離れ暮らすのですから、もう貴方は
 今度お会いするときは立派な婦人になられており
 私のことなど、とうにお忘れでしょうねぇ。

私は、激しくかぶりを振り、振り返ることすらできずに
ただ、やっとの思いで絞り出す様に言葉を吐きだしました。

 いいえ、私は貴方を忘れることなどございません。
 日記をお読みいたしました。あそこに書かれている
 貴方の想いが変わらない限り、私の貴方への想いも決して
 変わることはないとお誓い申し上げます。
 
Yは、ひどく動揺し、しばらく黙したまま、
家中の時計が止まったかのような空間と時間を経て、
ふたたび静寂を破ってこう言いました。

 私の想いが真実のものである証に、帰国の折には貴方への
 贈り物を持って帰りましょう。何がいいか、言ってください。

私は、再びかぶりを振り、涙声になり、何もいらぬ、
貴方さえ無事で帰ってくれさえすればと、何度も何度も
繰り返したのだが、Yに幾度も請われてやっとひとこと、

 では、金魚を一匹探してきてください。
 中国には真珠の眼の魚と言われる金魚がいるそうですね。
 炎よりも愛よりも赤い衣を着て、真珠の眼をした金魚を、
 私に持って帰ってください。
 真実の言葉は、真珠に変わるという伝説を、
 亡き母がずっと信じておりましたものですから。


            ◆◆◆


 結局、Yは戻ってきませんでした。
 向こうで、原因不明の熱病にかかってしまったのです。

 Yの遺品として研究に赴いた現地から届けられたのは
 この二粒のほんのり赤みを帯びた大きな真珠と、
 白い磁器に、
 ゆらりと水藻のなかに揺れながら泳ぐ一匹の金魚が
 丹念な筆致で染め付けられたこの一皿の水盆だけです。

 美しい月の晩、私は月光の降り注ぐ濡れ縁に出て
 この水盆に冷たい水を張り、
 二粒の真珠をこの一匹の金魚の絵のかたわらに
 そっと並べるのです。
 そう。
 まるで絵付けされた金魚の隣に
 もう一匹の金魚がそこに居るかの様に
 二つの眼の様に二つの真珠を並べるのです。

 そうすれば、恋よりも赤い金魚の隣に、
 愛よりも炎よりも赤い金魚がもう一匹ゆらりと水底から
 湧き上がって来るかの様に浮かんでまいります。
 そして、そっとこの金魚の隣に影のように寄り添うのです。
 二匹のつがいの金魚は
 在りし日の私たちの様に、黙って寄り添って居るのです。
 ただ、月の光に染められて、ただそばに居られる。
 それだけでもういいのです。


            ◆◆◆


この話をしてくれた彼女も、彼女の父も、
もうこの世にはいない。

私は、黙って水をたたえた金魚の水盆を眺めている。
青白い蛍光灯に照らされて
恋よりも赤い金魚の隣に、
愛よりも炎よりも赤い金魚が
ゆらゆらと揺れながら、そっと寄り添って、
真珠のような瞳で見つめ合うのを眺めている。



+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

 *「村娘の恋」と同様に、もう一つの物語詩を引っ張り出して来てみました。
   現世で結ばれなかった恋人たち、いや、心と心はたしかに結ばれ合ったけれど
   添い遂げることが叶わなかった恋人たちの物語をふと ふたたび思い浮かべて
   みたくなりました。
   その人の この世に生きた価値って何で決まるのでしょうね。
   ただ、人の心に消えないなにかを遺し得たら ひとつ本懐をとげたといえるの
   かもしれません。そして、ずっと思い続けたり語り続けたりしてもらえれば
   生きた証を遺したと言えるのかも。
   あるいは、その人がこの世にいたことさえ いつか忘れられていったとしても
   目に見えない大きな「何か」をひとつこの地上に残せたらそれもまた、意味の
   ある生き方なのかも。

   わたしには、一体何ができるのだろうと ふと思う時があります。
   あるいは、来世について ふと考える時があります。

   答えはまだまだ探し続けなくてはならないようです。



by forest_poem | 2008-04-02 00:00 | 詩 未分類

創作モード炸裂。ファンタージュの森を生く。


by 朋田菜花
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