朋田菜花の「ときには森を抜ける風の音のように」

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即興叙事詩 「慟哭のアリア」





   「慟哭のアリア」



 私は、この岬で
 最後の風景を、スケッチブックに描き留めようと
 朝日の昇る水平線に向き合っていた
 もう、思い出のこの場所に
 来ることはないだろう
 いやもう、この世界を
 再び見ることはないだろう
 
 私の目が光を映すうちに
 最後の日昇を描き留めようと

 ペンを走らす私から
 少し離れた岬の突端に
 彼女はさっきから腰をおろしていた
 何度か見掛けたことがある
 早朝にこの岬で歌っていた
 人気のない森に囲まれたこの場所で
 海を舞台に見立てて
 いつも、いくつかのアリアの一節を
 ときに華々しく
 ときに物悲しく歌う彼女は
 私の密かな尊敬対象だった
 
 だが、彼女のそんな後ろ姿を見るのも
 これが最後だろう

 彼女はすっと立ち上がり
 私に背を向けたまま
 海に向かい合って
 プッチーニのアリア「ある晴れた日に」を歌い始めた
 珍しくイタリア語ではなく日本語で

  《ある晴れた日に あの人はいいました》

 と
 有名な一節をいつになく晴れやかに
 だが、いつになく物悲しく

 まるで白鳥が死の間際に
 この世のものとは思えないほどの美しい
 極上の音楽を奏でているようだった


 そして歌い上げたあと
 彼女は私のところまで歩いてきて

  「あなた、死んではいけませんよ。 生きて」

 と、澄んだ瞳で言ったのだ


 
  「どうしてそれが?」

 と、私が尋ねると 彼女は

  「さっきまで、私も死のうと思っていたから」
  「愛した人とさっきお別れしてきたのです」

 と、深い吐息とともに吐き出すように答え

  「だから、あなたの気持ちが手に取るようにわかりました
   だけど、死んではいけない。なぜなら
   私はあなたのこの絵を見て、生きたいともう一度思ったから」

 と、まっすぐ目をみつめながら歌の一節のような響く声で
 静かに告げた

 
  「ありがとう、僕も あなたの歌を聴いて
   生きようと思いました」
  
  「これは運命なのでしょうか、偶然なのでしょうか…」

  「運命かもしれない、偶然かも知れない
   ただ、世の中のすべてが信じられなくなっても
   あなたのことだけは信じられると そう思いました
   悲しみを知った人にしか見えない風景が、この世界にはあり
   その風景の中で、もう一度未来の灯を見ることができた
   これは、あなたのおかげです」



 二人はそう語り合い
 その岬を後にした

 この物語はここまでで
 ここから前もここから後も
 だれも知らない


 ただ、今朝も岬からは
 太陽が昇るのが見えた
 いつもと同じように静かで
 いつもと同じようにうつくしく水平線を染めていた





.:☆.:☆.:☆.:☆.:☆

 言葉解説 「慟哭(どうこく)= 悲しみ泣き叫ぶこと。また、その様子」
      「アリア = オペラなどの声楽曲で、主人公が自分の想いなどを
             歌い上げる歌唱部分。ソプラノやテノールの歌手が担当
             することが多い」 


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by forest_poem | 2007-10-20 06:46 | 詩 未分類
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創作モード炸裂。ファンタージュの森を生く。


by forest_poem
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